■柊と楓が一緒に迎える初めてのクリスマスイブのお話。
「明日は24日だね。ねえ、柊は何が食べたい?」
楓がうちに来て初めて迎える冬。
家族を失ってから塞ぎこんでいた楓だったが、少しずつ以前のような笑顔を見せてくれるようになった。
特に最近はどことなくソワソワしているようで、なんとなく楽しそうにしている楓。
多分明日がクリスマスイブだからだろう。
俺はクリスマスのお祝いなんかしたことがなく、一人テレビの前できらびやかなクリスマスパーティを目にするだけだったが、他の家庭ではああいうことをするのだろう。
きっと楓も去年までのクリスマスは家族で楽しく過ごしていたのだろう…。
梓さんや柾さん、紅葉のことを思い出すと胸がズキリと傷んだ。
「…ねえ柊、聞いてる?」
「あ、ああ…。」
「あのね、この前お母さんが自分で書いてたレシピ見つけたんだ。この中から作れそうなものにチャレンジしてみるから、柊どれが食べたいか選んで。」
そう言って楓はノートを3冊出してきた。
中にはペンで料理の作り方が絵と文章で丁寧に書かれていた。
「楓…これ読めるのか?…難しい漢字も多いけど……」
「うん、なんとなくだけどね。僕よくお母さんの料理のお手伝いもしてたし、大体は分かるよ。」
「すごいな…楓」
料理も出来るしこんな難しい漢字だって分かるんだ…。
そう思いながら楓のことを見ていたら、楓ははにかんで少し赤くなった。
「お母さんみたいに上手くはまだ出来ないけど、このレシピがあればきっとお母さんの作っていたものと同じ味に出来るよね…」
そう言って大切そうにノートをめくっていた楓の手がピタリと止まる。
―――そのページには、デコレーションケーキのレシピが書かれていた。
楓の表情が目に見えて曇る。
楓の家族をめちゃくちゃにしてしまった原因が、葵さんの……いや、俺の親父が用意したケーキだった。
楓と一緒に買い物に行くとき、楓は絶対にケーキ屋の側を通らない。
通らなければならない時も、早足で出来るだけ店の方を見ないように通りすぎる。
クリスマスシーズンのこの時期は街でもテレビでも、苺と生クリームのケーキが溢れかえっていて、それを見る度に楓はうつ向いていた。
ケーキを見ると、嫌でも事件当日のことを思い出してしまうようだ。
俺は楓の思考をケーキからそらしたくて、慌ててレシピをめくって楓に言った。
「お、俺、これがいい…!これが食べたい!!」
「これって…ホットケーキ……?ホットケーキならいつものオヤツの時に焼いてるじゃないか。明日は特別な日だから、もっとご馳走頑張るよ?」
「ホットケーキがいい。だって俺、楓の焼いてくれるホットケーキ、大好きだから。」
楓の焼いてくれるホットケーキはフカフカでほんのり甘くて、バターをぬって食べるといつもじんわり幸せな気持ちになる。
母さんに叩かれ泣いていても、楓が作ってくれるホットケーキを食べるとあったかい気持ちになって涙が引っ込むんだ。
そんな幸せになれるホットケーキを作れる楓は本当にすごい。
そう思い楓を見つめると、楓は頬を赤く染めてニコリと笑った。
楓が笑うとまるで天使みたいにキレイだ。
楓と一緒に手を繋いで街を歩いていると、みんな楓を見る。
『ねえ見て、あの子』
『すごくキレイで可愛い』
『まるで天使みたいね』
みんな楓を見て、そう言った。
ただ街を歩くだけで皆に褒められるぐらい、楓は特別な存在だった。
そんな楓と兄弟でいられることが、堪らなく嬉しかった。
…だけど。
『ねえ見て、あの子』
『あの子と正反対ね』
『並んでるとまるで天使と悪魔みたい』
―――楓と街を歩いていると、そう言われているのをよく耳にする。
悲しくはないと言ったら嘘になるけれど、そう言われても仕方ないとは思う。
だってあれは悪口なんかじゃなく、皆本当のことを言っているだけなんだから。
天使のような楓の側にこんな薄汚い悪魔みたいな俺がいることで、楓に迷惑がかかってないか、楓に嫌がられていないか、いつもそれが心配だった…。
「じゃあ、明日はホットケーキにメープルシロップをかけようか。お母さんがホットケーキ作ってくれる時にはいつもかけてくれていたから。」
「メープルシロップ?」
「うん、甘くてすごく美味しいんだよ。」
「そうなのか…!」
いつもバターだけのせているだけでもあんなに美味しいのに、もっと美味しくなるのか…!
メープルシロップというものを初めて楓に教えてもらい、俺は明日の楓が作ってくれるホットケーキがますます楽しみになった。
―――クリスマスイブ当日の午後6時。
今日は朝からテンションが明らかに高かった楓。
買い物の時、あれもこれもとカゴいっぱいに商品を詰め込んで、重い荷物もニコニコしながら抱えていた。
料理も、レシピを見ながら器用に次々と作っていった。
子供でこんなに料理が作れるなんて、やっぱり楓は天才なんじゃないだろうか。
「ごめん、柊…作りすぎちゃったね」
サンドイッチ、チキン、ポテトサラダ、スープ、フルーツ等がテーブルいっぱいに並べられていた。
多分5~6人分ぐらいはありそうで、とても俺と楓だけでは食べきれそうにない量だ。
「大丈夫だ、楓。残ったらまた明日も食べればいい。」
「でも、この量だと明後日まで同じものを食べることになりそうだけど…。」
「楓の料理はおいしいから何日同じのでも全然平気だ。」
「柊…!…ありがとう…。」
何でか俺なんかに礼を言う楓。
こんなたくさんのご馳走を用意してくれて…お礼を言いたいのはこっちなのに。
「ホットケーキは食後に食べようね!ちゃんと準備してあるから!」
…そうだ、ホットケーキもあるんだった。
ホットケーキが入るように加減しながら食べないとな。
「じゃあ、食べようか。」
「ああ。いただきます。」
俺と楓は料理を食べ始めた。
明るくあったかい部屋で、優しく微笑む楓と一緒においしいご馳走を食べる。
…こんなクリスマスは、生まれて初めてだ。
「…?どうしたの、柊。食べる手が止まってるよ?」
「いや…あの…」
「?」
「……ありがとう、楓。…俺、こんな楽しいクリスマス、初めてだ…!」
「柊…」
楓は、優しく微笑む。
こんなに幸せで、いいんだろうか。
こんなに幸せをもらって、許されるんだろうか。
食事を済ませた後、楓が食器を洗いホットケーキを焼いている間に俺は残ったご飯をタッパーに入れて冷蔵庫にしまった。
テーブルをフキンで拭いていると、楓がホットケーキをお皿にのせてやってきた。
「柊、焼けたよ。今日は二人で半分こしようか。」
「ああ。」
ほかほかのホットケーキの上にバターをのせ、その上からメープルシロップをかける楓。
「これがメープルシロップか……。甘い匂いだな…おいしそう…。」
バターとメープルシロップがかかったホットケーキはキラキラしていて、見ているだけでワクワクした。
取り分ける為の皿とナイフとフォークを準備し終わった楓は俺の前に座り、俺を真正面から見据えた。
「―――柊。今日、言わないといけない言葉があるんだ。ホットケーキを食べるのは、それを言ってからにしよう。」
言わないといけない言葉…?
ああ、そっか。
うっかりしていた。今日はクリスマスイブなんだから、クリスマスのお祝いの言葉を言わなくちゃいけないんだったな。
そういえばまだ言っていなかった。
そう思っていると、楓は予想外の言葉を言った。
「誕生日おめでとう、柊。」
……………え?
俺は楓の言葉が理解出来なかった。
………誕生日………?
―――俺の……?
困惑して言葉を失う俺に、楓は笑顔で言った。
「今日、12月24日は、君の誕生日なんだよ。柊。」
「え…?」
…俺の誕生日……。
俺の誕生日って……今日、だったのか……。
―――実は俺は、自分の誕生日も血液型も知らなかった。
……誰にも、教えてもらわなかったから。
「何で…楓が知ってるんだ……?」
「愛菜さんに聞いたんだよ。…まあ中々教えてくれなかったけど。何回も尋ねたら教えてくれたよ。」
……母さん……。
俺の誕生日、覚えててくれたんだ……。
―――今日、楓が楽しそうにご馳走を準備してくれていたのは、クリスマスだからだと思っていた。
……楓は、俺の誕生日のお祝いの為に、こんなにも色々準備してくれていたんだ……!
そう思うと、胸の奥が熱くなった。
―――と同時に。
あることに今さら気付いて、俺は焦りだした。
そうだ、人にはみんな誕生日があるんだ。
だったら……
「……楓の誕生日って、いつなんだ?」
「えっ」
笑顔のまま固まる楓。
言いにくそうに口をよどませた。
「―――じゅ、10月……」
「!!!」
過ぎてる……!!
2ヶ月も過ぎてる!!
あああ、どうして俺は今まで楓の誕生日を聞いてこなかったんだ…!!
楓は俺の誕生日にこんなにいっぱいのご馳走を作ってくれているというのに、俺は楓の誕生日に一体何をしていたんだろう…!?
「ご、ご、ごめん、楓……俺、楓の誕生日…何も…!」
青ざめて涙目になる俺の手を、楓はあわてて握る。
「いいんだよ、柊。教えなかったのは僕なんだから。今日だって料理しか出来なくて、プレゼントも用意してないし…。」
「でも…!」
「それに、誕生日じゃなくても良かったんだよ。柊に日頃のお礼がしたかっただけなんだから…。」
「お礼……?何言ってんだよ…。それは、俺がお前にしなきゃいけないことだろ…!?」
毎日、楓はおいしいご飯を作ってくれて
両親の暴力から守ってくれて
泣いている俺を抱き締めてくれて
手を繋いで一緒に歩いてくれて
俺の知らないことをたくさん教えてくれる
「俺は……楓から、もらってばっかりだ…」
「そんなことないよ!」
楓はさっきよりも力強く俺の手を握ってきた。
「柊は、いつも僕のそばにいてくれるじゃないか。手を繋いでくれるじゃないか。いつも苦しい時、抱きしめてくれるじゃないか。」
「…そんなの、楓だって…いつもしてくれてるじゃねえか。」
「柊、僕は君に救われたんだよ。」
「……。」
「…柊は、天使みたいだね。」
「!?」
突然何を言い出すんだ…?
「天使なのは楓だろ。だって、街の人達だって、みんなそう言って…」
「…柊は、いつも僕のことをキラキラした目で見つめてくれるよね。周りから酷い言葉を言われても、全部自分のせいだって言って、泣いてるよね。」
「…だって…本当のことだし…。」
みんなが俺のことを悪く言うのは、それが事実だから。
俺が悪いから、みんな本当のことを言っているだけなんだ。
「…それはね、柊の心が綺麗で純粋だからだよ。普通の人は、みんな自分が傷付くことを怖がって誰かのせいにしたいんだよ。……僕も、そうだから。」
少し表情を曇らせ、俺の手を強く握る。
「そんな柊だから、僕は救われたんだ…。」
楓が、泣きそうな笑顔で俺を見つめる。
「柊………生まれてきてくれて、ありがとう……!」
「―――――………」
楓の言葉を聞いて、心臓が震えた。
今まで……俺は、誰からも望まれない存在だった。
俺がいるだけで、迷惑がかかるんだと。
俺なんか、生まれてこなければ良かったんだと。
そう言われてきたし、そう思っていた。
なのに、楓は、こんな俺を受け入れてくれて、存在することを望んでくれる。
「……ッ、…あ…、ありが、とう……。」
―――ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
そんな俺の頭を、楓は優しく撫でてくれた。
―――違うんだ、楓……。
俺が生まれてきたせいで、俺がお前の家に関わったせいで、お前の家族は死んだんだ。
本当は、お前にとって憎むべき相手は葵さんやその家族なんかじゃなく、俺と親父なんだ。
……本当なら、楓の隣で、楓に優しくされているのは……紅葉だったはずなのに。
俺は、楓を騙している、酷いヤツなのに、楓はこんなにも優しくしてくれる。
―――だから、言えない。
本当のことを言わずに、楓の優しさに甘えている最低な人間だ。
…全部、忘れられたらいいのに。
――――全部忘れて、楓と一緒に、ずっとずっと生きていけたらいいのに……。
俺と楓はメープルシロップがたっぷりかかったホットケーキを半分こにして食べた。
ふわふわで、甘くて、幸せな味。
だけどその奥にほんの少しだけ感じる苦味。
……楓が真実を知ってしまうその時まで、この幸せを感じていたいと思うんだ…。